外側のかたち
墳形
前方後円墳・円墳・方墳・八角墳など。地図で見える輪郭は、古墳を知る入口です。
KOFUN FIELD GUIDE 古墳の工法と構造
土を積み、石を組み、死者を葬る。
緑に覆われた古墳の内側には、古代の人々の技術と工夫が隠れています。墳丘から石室、石棺まで。その仕組みを知ると、次の古墳歩きが変わります。

A LOOK INSIDE
「形」「築き方」「埋葬施設」を分けて見ると、古墳の構造がすっきり整理できます。
外側のかたち
前方後円墳・円墳・方墳・八角墳など。地図で見える輪郭は、古墳を知る入口です。
土と石の築き方
段築・葺石・版築など。盛り上げた土をどう固め、斜面や表面をどう整えたかを見ます。
死者を納める場所
棺を納める石室や石槨、その中に置く棺。外から見えない部分にも、時代の違いが表れます。
SHAPING THE EARTH
いまは木々に覆われた古墳も、築造時には石を敷き、埴輪を並べた姿をしていたものがあります。まずは、土台から表面までの工夫を見てみましょう。
斜面を覆うように敷いた石。墳丘の表面を整え、保護する役割があったと考えられます。石の大きさや産地にも、その古墳の特徴が表れます。
土を層状に積み、突き固める工法。岩屋山古墳の墳丘でも確認されています。古墳の盛土すべてを、一律に版築と呼ぶわけではありません。
周濠は墳丘のまわりの堀。造出は祭祀に関わる張り出しで、埴輪はテラスなどに並べられました。すべての古墳に備わるわけではありません。
SPACES FOR THE DEAD
石室を理解する鍵は、棺を「どこから入れるか」。入口の位置が変わると、埋葬の方法や、後から別の人を葬る追葬のあり方も変わります。
主に前期〜中期 / 3〜5世紀
たてあなしきせきしつ
墳丘上部に設けた埋葬施設に棺を納め、天井石などで覆う方式。横から出入りする通路がなく、繰り返しの開閉を前提としない構造です。
中期に導入、後期に普及 / 5〜6世紀以降
よこあなしきせきしつ
通路の羨道(せんどう)と、棺を置く玄室(げんしつ)をもつ石室。入口を塞いだ石などを取り除けば再び入ることができ、追葬に使われました。
図は入口の方向を示す断面模式図です。年代は近畿を中心とした目安で、地域差や型式の併存があります。横穴式石室は7世紀にも造られています。
LOOK CLOSER / ISHIBUTAI
石舞台古墳は、盛土が失われて巨大な横穴式石室が姿を現した古墳。大きな石の下に立つと、石室と墳丘が別の構造であることを実感できます。
石舞台古墳を詳しく見る写真の出典・ライセンスは写真クレジットに記載。
終末期には、棺を納める箱状の施設に横から入口を設けた横口式石槨(よこぐちしきせっかく)も現れます。巨石を刳り抜くものや、切石を組み合わせるものなど、造り方はさまざまです。牽牛子塚古墳は一つの巨石に二室を設けた例。鬼の俎・鬼の雪隠や観音塚古墳も、石槨の構造を知る手がかりになります。
一方、精巧な切石を使う岩屋山古墳は横穴式石室です。「切石でできている」ことだけでは石槨と分類できません。薄い石を積む磚積式の例には、花山西塚古墳や帯解黄金塚古墳があります。
参考:[4] 羽曳野市 / [5] 明日香村 / [6] 明日香村 / [7] 国営飛鳥歴史公園
WITHIN THE CHAMBER
石室は棺を納める空間、棺は遺体を納める容器です。棺には木製・石製などがあり、石棺も時代や地域によって形が異なります。代表的な型式を比べてみましょう。
| 型式 | 時期の目安 | 見分ける手がかり |
|---|---|---|
| 割竹形木棺 | 主に前期 | 丸太を縦に割って内部を刳り抜いた形。石ではなく木の棺です。 |
| 割竹形・舟形石棺 | 主に前期〜中期 | 木棺や舟を思わせる形を、石で表現したもの。 |
| 長持形石棺 | 主に中期 | 底石・側石・蓋石などを組み合わせた大型の石棺。運搬用と考えられる縄掛突起にも注目。 |
| 家形石棺 | 主に後期〜終末期 | 家の屋根のような蓋が特徴。刳抜式と組合式があります。 |
くりぬきしき。一つの石から棺の身を刳り抜く造り。石そのものの大きさや加工の技術が見えてきます。
くみあわせしき。複数の板石を組んで棺の身を造る方法。石と石の接合部分が観察のポイントです。
MATERIALS & CONNECTIONS
石の産地をたどると、古墳を築いた人々のつながりが見えてきます。近くで採れる石を活かす一方、遠く離れた土地から石棺を運んだ例もありました。
STONE IN FOCUS / MAKADO STONE
「阿蘇ピンク石」と呼ばれる馬門石(まかどいし)は、熊本県宇土半島産の阿蘇溶結凝灰岩。滋賀の甲山古墳・円山古墳にも、この石で造られた家形石棺が残ります。
上図は産地と使用地域の関係を示す概念図です。個々の石棺の正確な運搬経路を復元したものではありません。
STONE IN FOCUS / MOZU KOFUN
大仙陵古墳の墳丘を覆っていた葺石は、推定でおよそ536万個・重さ約1万4千トンにのぼるとされます。大林組の工学的な復元試算(1985年)は、この大量の石を堺の石津川(いしづがわ)の流域で採取し、専用に開削した水路でいかだを曳いて運んだと想定しました。「石を運んだ川」という石津川のイメージは、こうした復元案に支えられた見方です。
大仙陵古墳は本格的な発掘調査が行われておらず、葺石の採取地が考古学的に確定しているわけではありません。上図は復元試算にもとづく概念図です。
巨大な墳丘を築くには、土を掘り石を運ぶための大量の鉄製工具が欠かせませんでした。堺打刃物(さかいうちはもの)の業界団体は、仁徳陵をはじめとする古墳の造営にあたって、鋤(すき)や鍬(くわ)などの土工具を作る鍛冶の職人が集まり住みついたと伝え、丹南(たんなん)・日置荘(ひきしょう)といった地名にその名残をみます。この古代の鉄加工の蓄積が、のちにプロの料理人に選ばれる包丁で知られる「堺打刃物」の土台になった――そんな物語が地元で語られています。
ただし、包丁づくりの産業としての歴史は、公式には15〜16世紀が起点とされます。鉄砲やたばこ包丁の製造で技術が磨かれ、江戸幕府が「堺極(さかいきわめ)」の極印を与えて専売を認めたことで、その名は全国に広がりました。古墳造営の技術がそのまま刃物産業へ受け継がれたことを示す確かな資料はなく、「古墳の時代にまでさかのぼるルーツの一説」として楽しむのがよいでしょう。
参考:[9] 文化庁 / [10] 香芝市二上山博物館 / [11] 宇土市 / [12] 野洲市 / [13] 大林組 / [14] 堺市 / [15] 堺刃物商工業協同組合連合会
QUESTIONS & ANSWERS
大きな違いは棺を入れる方向です。竪穴式は上から棺を納めて閉じる構造で、繰り返しの開閉を前提としません。横穴式は横から入る羨道と玄室をもち、入口の閉塞を取り除くことで追葬ができました。
石舞台古墳などに内部見学の機会があります。ただし、石室が現存していても、常時公開とは限りません。牧野古墳・宮山2号墳・観音塚古墳・甲山古墳などの公開条件は、各古墳ページと公式案内で確認してください。
役割が違います。葺石は墳丘の斜面など、外側の表面を覆う石。石室の石は、棺を納める内部空間の壁や天井を造る石です。五色塚古墳では復元された葺石を観察できます。
FROM READING TO EXPLORING
次は地図を開いて、気になる古墳の構造を確かめに。
自治体・公立博物館・文化財機関などの公開資料をもとにした入門ガイドです。時期や分類には地域差・諸説があり、模式図は構造を簡略化しています。個々の古墳の詳しい情報と出典は、各古墳ページをご覧ください。