古墳はどう造られたのか——墳丘の築き方、内部の埋葬施設、そして石材まで。「形」だけでは見えない古墳の“中身”を、実際に見学できる古墳の例とあわせて基礎からたどります。
古墳の「工法・構造」は、外から内へ3つの層に分けて考えると整理できます。地図の形フィルタで扱う墳形は一番外側の層で、その内側に築き方(墳丘工法)と埋葬施設があります。
墳丘を数段のテラス状に築く方法。大型古墳は3段築成が基本で、各段のくびれに埴輪を並べました。日本最大の大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)も3段築成です。
墳丘斜面を石で覆う化粧。土の流出を防ぎ、白く輝く姿を演出しました。五色塚古墳(神戸)は葺石と埴輪を全面復元した日本初の古墳で、築造当時の姿を体感できます。
版築は土を層状に突き固める基礎工法。終末期の八角墳などに用いられました。周囲を掘った周濠(当マップの約4分の1の古墳が持つ)や、墳丘側面に張り出す造出(つくりだし)という祭祀の場も、墳丘工法の重要な要素です。
古墳の内部(埋葬施設)は、時代とともに大きく姿を変えました。この変遷こそ「工法」の核心です。
| 型式 | 時期 | 特徴 |
|---|---|---|
| 竪穴式石室 | 前期(3〜4C) | 上から掘り込み密閉。追葬できない。首長個人の墓。 |
| 横穴式石室 | 中期後半〜後期(5〜6C) | 横から入る通路(羨道)+部屋(玄室)。扉を開けて追葬でき、現在も入れるものが多い。 |
| 横口式石槨 | 終末期(7C) | 巨石を刳り抜いた小型の槨。切石を精緻に組む。火葬導入期。 |
棺を納めて天井石で密閉する、古墳時代前期の方式。桜井茶臼山古墳・メスリ山古墳が代表。滋賀の雪野山古墳は1989年に未盗掘の竪穴式石室が見つかり、副葬品が完全な状態で出土したことで名高い古墳です。
朝鮮半島の影響で広まった、横から出入りできる石室。追葬が可能になり、家族墓的な性格を帯びます。開口している石室は今でも内部を見学でき、古墳めぐりの醍醐味です。
7世紀には、巨石を刳り抜いた横口式石槨や、切石をレンガ状に積む磚積(せんづみ)式など、より閉鎖的で精緻な埋葬施設が現れます。飛鳥の岩屋山古墳は精美な切石石室の標式で、鬼の俎・鬼の雪隠は石槨の底石と蓋石が露出した姿を見られます。花山西塚古墳・帯解黄金塚古墳は稀少な磚積式です。
この時期、天皇(大王)の墓には八角形の八角墳が採用されました。牽牛子塚古墳・野口王墓古墳(天武・持統合葬陵)・中尾山古墳(文武天皇陵説)などが該当します。
棺そのものも時代で変わります。前期の割竹形木棺から、長持形石棺(中期・大王級)、そして家形石棺(後期〜終末期)へ。家形石棺には一枚岩を刳り抜く刳抜式と、板石を組む組合式があります。
石棺や石室の石材は、どこから運ばれたかで被葬者の力を測る手がかりになります。兵庫県の竜山石(たつやまいし)や奈良の二上山凝灰岩は畿内の大王級石棺に多用されました。
とりわけ驚くべきは阿蘇ピンク石(熊本県宇土半島産の阿蘇溶結凝灰岩)です。九州から瀬戸内海を越えて琵琶湖畔まで運ばれ、滋賀の甲山古墳・円山古墳の家形石棺に使われました。石棺一つの背後に、古代の広域ネットワークが見えてきます。
和歌山の天王塚古墳や海南の室山古墳群に見られる石棚・石梁付きの「岩橋型石室」は、地元の結晶片岩を活かした紀伊独自の工法です。