奈良県 前方後円墳

纒向勝山古墳

所在地奈良県
形状前方後円墳
墳丘長115 m
築造時期3世紀前半〜後半

概要

桜井市大字東田に位置する墳丘長約115mの前方後円墳。出現期の纒向古墳群では東田大塚古墳(id:272・約120m)と並ぶ最大級で、築造時期は出土遺物に3世紀前半と後半の2群があり未確定。石塚・矢塚(96m・3世紀前半)から箸墓(278m・3世紀末)への規模拡大の「中間段階」を示し、前方後円墳の形態発達史を理解する上で欠かせない存在。前方部の発達が進みつつも撥形に近い過渡的な形状を保ち、前方後円墳が「完成形」に向かう変化の瞬間を体現する。纒向勝山古墳の名前は「勝山(かつやま)」という地名に由来するが、地名の由来は不詳。箸墓古墳(約600m南)のほぼ直前段階の大型古墳であり、箸墓を「卑弥呼の墓」とする説に立てば、本古墳の被葬者は「卑弥呼の直前の大首長」という歴史的位置に相当する可能性がある。3世紀後半という時期は、魏志倭人伝が描く邪馬台国の最盛期と重なる。JR巻向

出土品・調査研究

【発掘調査】桜井市・橿原考古学研究所(国史跡2013年)による調査。【埋葬施設・出土品】埋葬施設は未調査。北側くびれ部の周濠から刀剣把手・翳(さしば)・槽など多数の木製祭祀具が出土し、ヒノキ板材の年輪年代測定は「伐採は新しく見積もっても西暦210年頃」という注目すべき結果を示した。圃場整備の影響を受けているが墳形は概ね残存。纒向古墳群の中で最大規模(115m)という規模上の意義が主。

被葬者をめぐる両論

考古学的見解
墳丘長約115m・後円部径約70mの前方後円墳。纒向型とされてきたが、2009年の調査で前方部南東隅が確認され「前方部が短い纒向型ではない」とする見解も出ており評価は両論ある。纒向石塚・矢塚(3世紀前半・96m)から箸墓(3世紀末〜4世紀初頭・278m)への規模拡大の「中間段階」を示す重要な位置づけ。前方部の発達が石塚・矢塚より進んでいるが、箸墓に比べると形状は撥形に近く、過渡期の様相を示す。埋葬施設・副葬品の詳細は不明だが、纒向型の埋葬様式(木槨主体)が想定される。この古墳が3世紀後半という年代に属すことは、箸墓古墳(卑弥呼の墓候補)の直前段階の大型古墳を示しており、卑弥呼・邪馬台国論争の文脈でも注目される。
宮内庁見解
宮内庁の陵墓治定はなく、2026年2月に国史跡「纒向古墳群」へ追加指定された(一帯は2013年指定の史跡纒向遺跡の範囲)。桜井市が管理。圃場整備の影響を受けているが墳形は概ね残存する。

探索メモ

駅から徒歩数分で、纒向石塚・矢塚・箸墓と合わせて周遊できる。桜井市立埋蔵文化財センターで纒向遺跡全体の解説と出土品を見学することをすすめる。

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出典

Wikipedia桜井市観光協会桜井市纒向学研究センター文化庁 国指定文化財等データベース

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