奈良県 前方後円墳

箸墓古墳

別名: 倭迹迹日百襲姫命大市墓
所在地奈良県
形状前方後円墳
墳丘長280 m
築造時期3世紀中頃〜後半

概要

奈良県桜井市に位置する墳丘長280mの前方後円墳。「卑弥呼の墓」として世界的に注目される。後円部の直径は約150m・高さ約30mで、前方部が短く後円部が高い初期型の形状をもつ。二重の周濠に囲まれ、外濠の東側には「箸の里」として知られる大神神社の神域が広がる。纒向遺跡(桜井市)の東南端に接しており、纒向遺跡が3世紀の大規模集落・政治的中心地であることを踏まえると、この地が邪馬台国の首都域だった可能性が高い。宮内庁の陵墓のため墳丘内は非公開だが、外周道路から間近に見学できる。最寄り駅はJR桜井線(万葉まほろば線)の巻向駅(徒歩約5分)。隣接する纒向遺跡は2009年の大型建物群発見で「邪馬台国纒向説」が急浮上し世界中の注目を集めた。毎年秋には「まほろば纒向古代フェスタ」など関連イベントが開催される。「箸墓(はしはか)」という名は日本書紀に「昼は人が造り、夜は神が造った」という伝承に由来し、百襲姫が神の粗相を恥じて箸で自らを突いて死んだという記述に基づく。

出土品・調査研究

宮内庁陵墓参観制度により発掘調査は未実施。内部構造・副葬品の詳細は不明。外周・周濠からの外観見学のみ可能。

被葬者をめぐる両論

考古学的見解
「箸墓古墳=卑弥呼の墓」説は研究者の間で最有力の仮説。根拠:①放射性炭素(C14)測定と土器の型式年代から3世紀中頃〜後半(240〜280年頃)の築造が確認されており、「魏志倭人伝」が記す卑弥呼の死去年代(247年前後)と合致する。②前方後円墳として国内最古級のひとつで、ヤマト王権の成立と同時期。③纒向遺跡(卑弥呼の宮殿候補)に隣接する。反論:①卑弥呼の所在地が纒向(大和)であることへの異論(九州説)、②記紀に記された百襲姫との同定が困難。宮内庁は発掘調査を許可しないため、決定的な証拠は得られていない(寺沢薫・岸本直文氏ほか)。
宮内庁見解
正式名称「倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことのおおいちのはか)」として宮内庁書陵部が管轄。日本書紀に倭迹迹日百襲姫命の墓として記された古墳で、宮内庁はこれに従い治定。陵墓参観制度により立入は制限されるが、周濠沿いの遊歩道(三輪山方面)から外観を見学できる。
⛩ インタラクティブ地図で見る 📍 Google マップ

出典

Wikipedia宮内庁寺沢薫『王権誕生』文化庁(国指定史跡・箸墓古墳周濠)

関連する古墳

西殿塚古墳(230m) 東殿塚古墳(139m) 行燈山古墳(242m) 渋谷向山古墳(300m) 黒塚古墳(130m) 桜井茶臼山古墳(207m)
← 高井田山古墳 西殿塚古墳 →