奈良県
前方後円墳
行燈山古墳
別名: 崇神天皇山辺道勾岡上陵
| 所在地 | 奈良県 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 墳丘長 | 242 m |
| 築造時期 | 4世紀前半〜中頃 |
概要
天理市柳本町に位置する墳丘長242mの前方後円墳。宮内庁が崇神天皇陵(山辺道勾岡上陵)として治定する柳本古墳群(大和古墳群)の中核古墳。後円部直径約130m・高さ約23mの雄大な墳丘が広がり、三重の濠に囲まれた壮大な景観を見せる。「はつくにしらすすめらみこと」とも称される崇神天皇の陵であり、この地がヤマト王権発祥のエリアであることを象徴する。山辺の道(古代道)に近接し、古代の景観が良好に保存されている。「行燈山(あんどんやま)」の名は、遠くから見た墳丘の姿が行燈(油皿型照明器具)に似ていることに由来する。崇神天皇は記紀において「大物主神の祟りを鎮め疫病を終息させた天皇」として描かれ、三輪山(大神神社)信仰との深い関係が語られる。本古墳が三輪山の北西麓・山辺の道沿いに位置することは、この伝承と地理的に一致している。南隣の渋谷向山古墳(景行天皇陵・300m)とセットで訪れると、4世紀の大和王権の大王墓を連続して体感できる。最寄り駅はJR桜井線柳本駅(徒歩約15分)。周辺にはヤマトトトヒモモソヒメを祀る箸墓古墳、黒塚古墳展示館など見どころが多く、1日かけて回るのに適したエリア。
出土品・調査研究
宮内庁陵墓参観制度により発掘調査は未実施。内部構造・副葬品の詳細は不明。外周・周濠からの外観見学のみ可能。
被葬者をめぐる両論
考古学的見解
実際の被葬者は不明。墳丘長242mは柳本古墳群(大和古墳群)の最大規模であり、4世紀前半〜中頃のヤマト王権大王墓クラスに位置づけられる。後円部直径約130m・高さ約23m・前方部幅約133m。葺石と埴輪列が整備されており、外濠・中堤・内濠の三重構造をもつ。宮内庁管轄のため発掘調査は未実施だが、周辺地域(柳本・萱生地区)の発掘から4世紀前半の土器・鏡が多数確認されており、築造年代の推定に利用されている。ヤマト王権の政治的支配が本格化する時期の大型首長墓として、古代史復元に不可欠な遺跡。
宮内庁見解
正式名称「山邊道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)」として宮内庁書陵部が管轄。崇神天皇(第10代)の陵として治定されており、日本書紀・古事記の記述に基づく。江戸時代の寛政年間(1790年代)に徳川幕府が再調査・整備した陵墓治定の一つ。宮内庁の陵墓参観制度のもと学術発掘調査は認められていないが、外堤・周濠沿いの遊歩道から外観の見学が可能。崇神天皇は「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」とも呼ばれ、実在した初代の天皇とする説が強い。【宮内庁参拝情報】所在地:奈良県天理市柳本町/交通:JR 柳本駅から徒歩約12分/原則、8時30分~17時(原則年間参拝可)。陵印保管:畝傍陵墓監区事務所。
出典
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