奈良県 前方後円墳

西殿塚古墳

別名: 手白香皇女衾田陵
所在地奈良県
形状前方後円墳
墳丘長230 m
築造時期4世紀前半

概要

天理市柳本町に位置する墳丘長230mの前方後円墳。大和古墳群第2位の規模を誇り、すぐ東に隣接する東殿塚古墳(139m)と対になって存在することから「西殿塚」と呼ばれる。後円部直径約130m・高さ約22mの雄大な墳丘が広がり、葺石と埴輪で整備された典型的な4世紀前半のヤマト王権の大型首長墓。三輪山から北西に延びる山辺の道のすぐ近くに位置し、古代の景観を今に伝える。宮内庁が「手白香皇女衾田陵」として管轄しているため墳丘への立入は制限される。東側の東殿塚古墳と対をなし、その名もそこに由来する(西殿塚・東殿塚)。宮内庁の治定(手白香皇女陵)は継体天皇の皇后(6世紀前半)を指すが、築造年代(4世紀前半)と被葬者候補の時代は約200年の開きがあり、考古学的には別人の墓と考えられている。本古墳と行燈山古墳(崇神天皇陵)・渋谷向山古墳(景行天皇陵)は「大和古墳群」を形成し、3〜4世紀の大和政権の中枢を成すエリアに集中する。最寄り駅はJR桜井線(万葉まほろば線)柳本駅(徒歩約10分)。山辺の道を歩くハイキングコースと組み合わせた訪問が人気で、三輪山・大神神社・箸墓古墳を結ぶ古代の聖域を体感できる。

出土品・調査研究

宮内庁陵墓参観制度により発掘調査は未実施。内部構造・副葬品の詳細は不明。外周・周濠からの外観見学のみ可能。

被葬者をめぐる両論

考古学的見解
被葬者は不明。墳丘長230mは大和古墳群(天理市柳本エリア)の中で第2位の規模を誇り、隣接する行燈山古墳(崇神天皇陵・242m)に次ぐ。4世紀前半の築造とみられ、葺石(ふきいし)と埴輪列が整備された典型的なヤマト王権の大型前方後円墳。後円部の直径は約130m・高さ約22m。前方部も幅広く発達しており、古墳時代前期の正式な大王墓クラスの墳丘形態を示す。竪穴式石室を持つと推定されるが、宮内庁の管轄下にあるため発掘調査は未実施。ヤマト王権の権力拡大を象徴する遺跡。
宮内庁見解
正式名称「手白香皇女衾田陵(たしらかのひめみことのふすまだのみささぎ)」として宮内庁書陵部が管轄。手白香皇女は継体天皇の皇后(仁賢天皇の皇女)であり、記紀によれば6世紀前半に没したとされる。しかし本古墳の考古学的築造年代は4世紀前半であり、治定対象者の時代と約200年の乖離がある。江戸時代以来の陵墓治定の慣例に基づくもので、宮内庁は陵墓参観制度のもと一般の立入を制限し、学術発掘調査も認めていない。周濠沿いの道路から外観の見学は可能。
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出典

Wikipedia宮内庁天理市教育委員会

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