大阪府羽曳野市・藤井寺市
前方後円墳
宮内庁治定陵墓
白髪山古墳
別名: 清寧天皇陵古墳
| 所在地 | 大阪府羽曳野市・藤井寺市 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 墳丘長 | 115 m |
| 築造時期 | 6世紀前半 |
| 陵墓指定 | 宮内庁管轄(一般立入不可) |
概要
前方部の幅が後円部径の約2倍に達する「広前方部型」の特異な前方後円墳。墳丘長115m、3段築成の墳丘に葺石・埴輪列が巡らされる。古墳時代後期に前方部が急速に発達する過程を視覚的に示す好例として考古学的評価が高い。周濠を備え、高屋丘陵の尾根筋に沿った南北方向の主軸をもつ。高屋築山古墳と隣接して位置し、古市古墳群南部の二大陵墓を構成する。清寧天皇は継体天皇の即位につながる大王権の断絶と再生のエピソードで知られる。日本書紀によれば清寧天皇には皇子がなく、崩御後に飯豊青皇女が一時的に政務を摂ったとも伝えられ、その後仁賢・顕宗両天皇が即位し王統が回復された。古市古墳群の中では世界遺産登録資産(49基)には含まれないが、群の成り立ちを理解するうえで欠かせない一基。
出土品・調査研究
宮内庁陵墓参観制度により発掘調査は未実施。内部構造・副葬品の詳細は不明。外周・周濠からの外観見学のみ可能。
被葬者をめぐる両論
考古学的見解
実際の被葬者は不明。前方部が後円部の約2倍の幅をもつ「広前方部型」は古墳時代後期の特徴的な形態で、5世紀後半〜6世紀前半の前方部拡張化傾向の典型例とされる。出土品の記録は限られるが、円筒埴輪・形象埴輪の存在が確認されている。墳丘長115m、後円部径約63m。清寧天皇の実年代(在位480年代)と古墳の築造時期(6世紀前半)の間に若干の齟齬があることも指摘されており、被葬者の治定根拠は薄弱とする研究者もいる。
宮内庁見解
河内坂門原陵(清寧天皇陵)として宮内庁が管轄。正式陵号は「河内坂門原陵(かわちのさかとのはらのみささぎ)」。第22代清寧天皇の陵として治定されており、宮内庁書陵部が管理。清寧天皇は子を持たず崩御したとされ、後継をめぐる大王家の危機が顕在化した時期の天皇として古代史上重要な位置を占める。【宮内庁参拝情報】所在地:大阪府羽曳野市西浦6丁目/交通:近鉄 古市駅から徒歩約18分/原則、8時30分~17時(原則年間参拝可)。陵印保管:古市陵墓監区事務所。
探索メモ
隣接する高屋築山古墳とともに、古市古墳群南端部の景観を今に伝える。
出典
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