大阪府 前方後円墳

今城塚古墳

別名: (継体天皇真陵説・宮内庁管轄外)
所在地大阪府
形状前方後円墳
墳丘長181 m
築造時期6世紀前半

概要

淀川流域最大の前方後円墳(墳丘長181m)。3段築成の墳丘は後円部径100m・高さ約11m、前方部幅120m・高さ約9mを測り、二重の周濠を備える。2011年国史跡指定。継体天皇陵の比定をめぐり宮内庁と考古学者の見解が大きく異なる代表的事例。今城塚が「真陵」とされる最大の理由は、宮内庁治定の太田茶臼山が5世紀中葉の築造であるのに対し、今城塚の埴輪が継体天皇の崩御年(531年)に近い6世紀前半を示すこと。

出土品・調査研究

【発掘調査】高槻市教育委員会が複数回の発掘調査を実施(2000年代〜)。国史跡(2011年)指定後も継続調査中。【出土品】近江・北陸系の土器・渡来系工人が製作した須恵器・多種の形象埴輪(家形・蓋形・盾形・鶏・犬・馬・巫女・力士など約80種)が出土。継体天皇の広域政治基盤を反映する多様な副葬品群。地震による墳丘崩壊(536年の安閑2年地震との関連指摘)の痕跡も確認。【展示】隣接する今城塚古代歴史館で出土品・映像展示。公園内に埴輪祭祀場(実物大レプリカ約80体)を復元展示。

被葬者をめぐる両論

考古学的見解
考古学的には継体天皇(第26代)の真陵とする説が最有力。白石太一郎・今尾文昭ら第一線の古墳研究者の多数が支持。根拠は①埴輪の型式編年が6世紀前半(520〜530年代)と一致すること、②石室の規模・構造が大王級であること、③大規模な埴輪祭祀場(面積約1,000㎡)の存在、④地震による墳丘崩壊(536年の安閑2年地震との関連指摘)。出土品には近江・北陸系の土器、渡来系工人が製作した須恵器、多種の形象埴輪(家・蓋・盾・鶏・犬・馬・巫女・力士など)が含まれ、継体天皇の広域政治基盤を反映する。
宮内庁見解
宮内庁管轄外。高槻市が管理する国史跡。宮内庁は継体天皇陵を太田茶臼山古墳(id:61)に治定しているが、今城塚は宮内庁の陵墓台帳に記載がなく、民間の古墳公園として整備されている。2011年に国の史跡に指定。管理区分の特異性から「宮内庁が発掘を許さない古墳」と対比され、学術調査が可能な点でむしろ貴重な存在となっている。

探索メモ

古墳公園として全面無料公開されており、日本初の埴輪祭祀場復元(約80体の実物大レプリカを配置)が見どころ。高槻市立今城塚古代歴史館が隣接し、出土品・映像展示を通じて継体天皇の時代を学べる。毎年春には「今城塚古代歴史まつり」が開催される。墳丘には遊歩道が整備されており、後円部頂部からは淀川流域の眺望が広がる。最寄りはJR京都線摂津富田駅または阪急京都線富田駅から徒歩約15分。

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出典

高槻市教育委員会白石太一郎『継体大王の時代』UNESCO(参考)

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