★ 世界遺産
大阪府羽曳野市・藤井寺市
前方後円墳
宮内庁治定陵墓
市野山古墳
允恭天皇陵古墳
| 所在地 | 大阪府羽曳野市・藤井寺市 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 墳丘長 | 230 m |
| 築造時期 | 5世紀後半 |
| 指定区分 | 陵墓 |
| 世界遺産 | 百舌鳥・古市古墳群 構成資産 |
| 陵墓指定 | 宮内庁管轄(一般立入不可) |
概要
墳丘長230mで古市エリア第4位の前方後円墳。古市エリア北東部の台地先端に前方部を北へ向けて築かれ、前方部の高さは23.3m。墳丘は3段築成で、両側のくびれ部に造り出しがある。現在は一重の濠が巡るが、築造時は二重の周濠で、外濠は埋没保存されている。墓山古墳ときわめて近い平面形で、相似形に企画された可能性が高い。宮内庁が允恭天皇陵として管理し、2019年世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産となった。
出土品・調査研究
埋葬施設・副葬品の詳細は不明。濠から円筒埴輪と多様な形象埴輪が出土している。墳丘の盛土からは5世紀中頃の須恵器が出土し、築造時期を考える手がかりとなっている。
被葬者をめぐる両論
考古学的見解
被葬者は考古学的に不明。墳丘長230mは古市エリア第4位・全国第19位。築造時期は古墳時代中期後葉(5世紀後半)。允恭天皇(記紀による在位:412〜453年)の時代とは若干後の年代を示すが、誤差の範囲内とも見られる。三段築成で、築造時は二重の周濠をもっていた(外濠は埋没保存)。墓山古墳ときわめて近い平面形で築かれており、相似形で企画された可能性が高い。
宮内庁見解
正式名称「惠我長野北陵(えがのながののきたのみささぎ)」として宮内庁書陵部が管轄。允恭天皇(第19代)陵として治定。記紀によれば、允恭天皇は盟神探湯(くかたち)によって氏姓の乱れを正したとされる。陵墓として一般立入は制限されており、周濠沿いの外周を観察できる。【宮内庁参拝情報】所在地:大阪府藤井寺市惣社1丁目/交通:近鉄 土師ノ里駅から徒歩約7分/原則、8時30分~17時(原則年間参拝可)。陵印保管:古市陵墓監区事務所。
出典
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