★ 世界遺産
大阪府羽曳野市・藤井寺市
前方後円墳
宮内庁治定陵墓
岡ミサンザイ古墳
仲哀天皇陵古墳
| 所在地 | 大阪府羽曳野市・藤井寺市 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 墳丘長 | 245 m |
| 築造時期 | 5世紀後葉〜末頃(藤井寺市)/古墳時代中期(文化庁) |
| 指定区分 | 陵墓 |
| 世界遺産 | 百舌鳥・古市古墳群 構成資産 |
| 陵墓指定 | 宮内庁管轄(一般立入不可) |
概要
墳丘長245m(資料により242m)で古市エリア第3位の前方後円墳。羽曳野丘陵北東側の縁辺部に前方部を南へ向けて築かれ、後円部の高さは19.5m。墳丘は3段築成で、東側のくびれ部のみに造り出しがある。幅の広い濠が巡り、堤上にも円筒埴輪が並べられていた。室町時代に城として利用されて改変を受けたが、墳丘の形状は原形を保つ。宮内庁が仲哀天皇陵として管理する。築造時期には諸説あるが、文化庁は古墳時代中期としている。2019年世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産。
出土品・調査研究
埋葬施設・副葬品の詳細は不明。墳丘や濠から円筒埴輪・形象埴輪が出土し、周囲を巡る堤の上にも円筒埴輪が並べられていた。
被葬者をめぐる両論
考古学的見解
被葬者は考古学的に確定していない。築造時期は、藤井寺市が埴輪の特徴から5世紀後葉〜末頃、文化庁が諸説あるものの古墳時代中期と説明する。宮内庁の仲哀天皇陵という治定と、古墳の考古学的年代は区別される。
宮内庁見解
正式名称「惠我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)」として宮内庁書陵部が管轄。仲哀天皇陵に治定されている。仲哀天皇は神功皇后の夫であり、記紀によれば熊襲征討のため赴いた筑紫の橿日宮(香椎宮)で崩御し、三韓征伐はその崩御後に神功皇后が行ったとされる。陵墓として管理されており一般立入は制限される。【宮内庁参拝情報】所在地:大阪府藤井寺市藤井寺4丁目/交通:近鉄 藤井寺駅から徒歩約14分/原則、8時30分~17時(原則年間参拝可)。陵印保管:古市陵墓監区事務所。
出典
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