★ 世界遺産 大阪府羽曳野市・藤井寺市 前方後円墳 宮内庁治定陵墓

岡ミサンザイ古墳

別名: 仲哀天皇陵古墳
所在地大阪府羽曳野市・藤井寺市
形状前方後円墳
墳丘長245 m
築造時期5世紀末
世界遺産百舌鳥・古市古墳群 構成資産
陵墓指定宮内庁管轄(一般立入不可)

概要

墳丘長245mは古市古墳群第3位・全国第16位。3段築成の前方後円墳で後円部高さ約26m。二重の周濠をもち、前方部が北東向きに配置される。宮内庁治定では仲哀天皇陵だが、考古学的年代(5世紀末)との乖離から雄略天皇陵説が有力で、宮内庁と考古学者の見解が大きく分かれる代表的事例のひとつ。古市古墳群の南西端に位置し、古市古墳群の中では峯ヶ塚古墳に近い。世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産(2019年)。「岡ミサンザイ」の名は古墳周辺の地名「岡」と「ミサンザイ(陵の訛)」に由来する。雄略天皇(倭王武)は478年に中国・宋に遣使を送り「七国諸軍事」の称号を求めた記録が南史・宋書に残り、5世紀後半の実在性が最も高い倭王の一人。この古墳が雄略天皇陵であれば、倭王武の実像解明にとって最重要の考古学的遺跡となる。

出土品・調査研究

宮内庁陵墓参観制度により発掘調査は未実施。内部構造・副葬品の詳細は不明。外周・周濠からの外観見学のみ可能。

被葬者をめぐる両論

考古学的見解
5世紀末(470〜490年頃)の築造と推定され、仲哀天皇(4世紀後半の人物とされる)とは年代が大きく乖離する。多くの研究者は「倭王武」(中国南朝への遣使で知られる「武」=雄略天皇)の陵の最有力候補とみる(白石太一郎・今尾文昭氏ほか)。雄略天皇の在位は5世紀後半とされ、古墳の築造年代と合致する。埴輪の型式分析から5世紀末の築造が確実視されており、宮内庁の治定は史料的根拠が薄いとされる。
宮内庁見解
正式名称「恵我長野西陵(えがのながのにしのみささぎ)」として宮内庁書陵部が管轄。仲哀天皇陵に治定されている。仲哀天皇は神功皇后の夫であり、記紀によれば三韓征伐の途上で崩御したとされる。陵墓として管理されており一般立入は制限される。【宮内庁参拝情報】所在地:大阪府藤井寺市藤井寺4丁目/交通:近鉄 藤井寺駅から徒歩約14分/原則、8時30分~17時(原則年間参拝可)。陵印保管:古市陵墓監区事務所。
⛩ インタラクティブ地図で見る 📍 Google マップ

出典

宮内庁藤井寺市教育委員会UNESCO(2019)

関連する古墳

誉田御廟山古墳(425m) 仲ツ山古墳(290m) 市野山古墳(230m) 墓山古墳(225m) 津堂城山古墳(208m) 軽里大塚古墳(190m)
← 仲ツ山古墳 市野山古墳 →