| 所在地 | 奈良県 |
|---|---|
| 形状 | 方墳 |
| 墳丘長 | 50 m |
| 築造時期 | 6世紀後半〜7世紀初頭 |
奈良県桜井市倉橋に位置する台形状方墳(北辺50m・3段築成)。蘇我馬子に暗殺された第32代崇峻天皇の陵墓として有力視される飛鳥時代の重要遺跡。国指定史跡。横穴式石室(全長18m以上)に大型の家形石棺が収納されており、7世紀初頭の終末期古墳の典型的な構造をもつ。宮内庁治定の倉梯岡陵は本古墳の南西約1.7kmの地点にある。
【発掘調査】桜井市教育委員会・奈良県立橿原考古学研究所による調査(国史跡)。【埋葬施設・出土品】両袖型横穴式石室(全長18m以上)に大型の家形石棺が収納。凝灰岩製の石棺は7世紀の終末期古墳の石棺文化の典型。被葬者の特定は困難だが、石室規模・石棺・年代が崇峻天皇(592年崩御)の陵墓クラスに合致。桜井市教育委員会が継続的な保護・調査を実施。
崇峻天皇は592年に蘇我馬子に暗殺された。日本書紀によれば、崇峻天皇が蘇我氏の専横を嫌い、「いつかこの猪のように、嫌いな者を斬りたい」と発言したことが暗殺の引き金となったとされる。天皇が臣下に暗殺された前代未聞の事件として古代史上最も衝撃的なエピソードの一つ。崇峻天皇暗殺の翌年(593年)、推古天皇が即位して聖徳太子が摂政となる。宮内庁は別の場所(倉梯岡陵)を崇峻天皇陵として治定しているが、赤坂天王山古墳の年代・石棺の規模・立地が天皇陵クラスであることから、真陵論争が続いている。最寄りはJR・近鉄「桜井」駅からバスまたはタクシー。