奈良県 前方後円墳

五社神古墳

別名: 神功皇后陵・五社神陵
所在地奈良県
形状前方後円墳
墳丘長267 m
築造時期5世紀前半

概要

奈良市佐紀町に位置する墳丘長267mの前方後円墳。全国第10位の規模を誇り、宮内庁が神功皇后の陵(狭城盾列池後陵)として治定する佐紀古墳群の最大古墳。4世紀後半の築造で、葺石・埴輪を備えた壮大な前方後円墳。「三韓征伐」の伝承で知られる神功皇后は、仲哀天皇の皇后であり応神天皇の母とされる。佐紀古墳群は奈良市北部・平城宮跡周辺に広がる大型古墳群で、その中心的存在。神功皇后は記紀において「三韓征伐」を行い朝鮮半島を平定したとされる伝説的人物。日本書紀は神功皇后を仁徳天皇の母・応神天皇の母として重要視する。「三韓征伐」の実在性については古代史研究者の間で議論があり、中国史書との矛盾から当該記事の史実性は限定的とみる見方が主流。江戸時代にはかつて旧紙幣(明治期・日本銀行券)に神功皇后の肖像が使われていた。平城宮跡歴史公園の北側に位置し、公園散策と合わせて外観見学が可能。

出土品・調査研究

宮内庁陵墓参観制度により発掘調査は未実施。内部構造・副葬品の詳細は不明。外周・周濠からの外観見学のみ可能。

被葬者をめぐる両論

考古学的見解
実際の被葬者は不明。墳丘長267mは佐紀古墳群の最大規模であり、全国第10位に相当する巨大前方後円墳。4世紀後半の築造と推定されるが、宮内庁管轄のため発掘調査は未実施。神功皇后(「三韓征伐」の伝承で知られる)との治定は、記紀の記述に基づくもの。考古学的な年代(4世紀後半)と神功皇后の活動時期(3世紀後半〜4世紀)は概ね重なるが、一方で神功皇后を実在の人物として確定することには慎重な見方もある。葺石・埴輪が整備された典型的な大型前方後円墳で、佐紀古墳群の盟主墳。
宮内庁見解
正式名称「狭城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)」として宮内庁書陵部が管轄。神功皇后(息長帯比売命・仲哀天皇の皇后)の陵として治定。宮内庁の陵墓参観制度のもと立入は制限されているが、周濠沿いの道から外観の見学が可能。

探索メモ

最寄りはJR・近鉄奈良駅からバスで「佐紀高塚」停下車。

⛩ インタラクティブ地図で見る 📍 Google マップ

出典

宮内庁Wikipedia奈良市観光協会

関連する古墳

箸墓古墳(280m) 西殿塚古墳(230m) 東殿塚古墳(139m) 行燈山古墳(242m) 渋谷向山古墳(300m) 黒塚古墳(130m)
← 宝来山古墳 佐紀石塚山古墳 →