大阪府
前方後円墳
宮内庁治定陵墓
太子西山古墳
別名: 河内磯長中尾陵(敏達天皇陵)
| 所在地 | 大阪府 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 墳丘長 | 93 m |
| 築造時期 | 6世紀後半 |
| 陵墓指定 | 宮内庁管轄(一般立入不可) |
概要
大阪府南河内郡太子町山田に位置する墳丘長93mの前方後円墳。宮内庁が第30代敏達天皇(在位572〜585年)の陵(河内磯長中尾陵)として治定する磯長谷古墳群最大の古墳。6世紀後半の築造で、3段築成の堂々たる前方後円墳。敏達天皇は推古天皇の夫にあたり、この地域の飛鳥時代王族墓群の中心的な一基。
出土品・調査研究
宮内庁陵墓参観制度により発掘調査は未実施。内部構造・副葬品の詳細は不明。外周・周濠からの外観見学のみ可能。
被葬者をめぐる両論
考古学的見解
墳丘長93mの前方後円墳。磯長谷古墳群では最大規模を誇る。6世紀後半の築造と推定。3段築成で葺石・埴輪列が整備されていた。周濠を備え、後円部に横穴式石室をもつと推定されるが、宮内庁管轄のため発掘調査は未実施。被葬者の考古学的な特定は困難だが、6世紀後半という年代と規模から倭国の有力王族の墓と判断される。敏達天皇は推古天皇の夫であり、推古天皇陵(山田高塚古墳)とは約400m離れて所在する。
宮内庁見解
正式名称「河内磯長中尾陵(こうちのしながのなかのおのみささぎ)」として宮内庁書陵部が管轄。第30代敏達天皇(在位572〜585年)の陵として治定。母の石姫皇女(欽明天皇皇后)との合葬と伝わる。宮内庁の陵墓参観制度のもと立入は禁止されているが、外周の道路から外観の見学が可能。【宮内庁参拝情報】所在地:大阪府南河内郡太子町大字太子/交通:(バス停)敏達天皇陵前から徒歩約9分/原則、8時30分~17時(原則年間参拝可)。陵印保管:古市陵墓監区事務所。
探索メモ
「磯長(しなが)」とは太子町の旧地名で、この谷に6〜7世紀の皇族の墓が集中することから「磯長谷古墳群」と総称される。太子西山古墳はその最大規模の古墳として群の中心的存在。敏達天皇は仏教受容を巡って蘇我氏・物部氏の対立が激化した時代の天皇。推古天皇(敏達天皇の皇后)は夫の崩御後、聖徳太子を摂政として国政を執った。隣接する春日向山古墳(用明天皇陵)・山田高塚古墳(推古天皇陵)とともに「磯長谷三陵」として知られる。最寄りは近鉄「上ノ太子」駅から徒歩約25〜30分、またはバス利用で「聖和台」下車。
出典
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