大阪府 方墳 宮内庁治定陵墓

春日向山古墳

別名: 河内磯長原陵(用明天皇陵)
所在地大阪府
形状方墳
墳丘長65 m
築造時期7世紀前半
陵墓指定宮内庁管轄(一般立入不可)

概要

大阪府南河内郡太子町春日に位置する方墳。宮内庁が第31代用明天皇の陵(河内磯長原陵)として治定する磯長谷古墳群の一基。東西65m・南北60m・高さ10mの3段築成で、堤を含めると東西100m・南北90mに達する。方墳としては国内第5位の規模を誇り、天皇陵が方墳であることは稀少。聖徳太子(厩戸皇子)の父として知られる用明天皇(在位585〜587年)の陵とされるが、考古学的な被葬者の特定はなされていない。

出土品・調査研究

宮内庁陵墓参観制度により発掘調査は未実施。内部構造・副葬品の詳細は不明。外周・周濠からの外観見学のみ可能。

被葬者をめぐる両論

考古学的見解
東西65m・南北60m・高さ10mの3段築成方墳。古墳時代終末期(7世紀前半)の築造と推定される。周囲に幅約7mの空濠が巡り、墳丘形状はよく保存されている。被葬者の特定は未確定。天皇陵として方墳を採用する例は極めて少なく、同時期に磯長谷に集中する推古・敏達・孝徳各天皇の陵や聖徳太子墓もほぼ方墳・八角墳系であり、飛鳥時代の王権の墓制変容を示す貴重な事例。平成24年(2012年)に日本考古学協会など16学会の研究者が宮内庁の許可を得て初の立入調査を実施したが、詳細な発掘成果は非公開。
宮内庁見解
正式名称「河内磯長原陵(こうちのしながのはらのみささぎ)」として宮内庁書陵部が管轄。第31代用明天皇の陵として治定。陵形:方丘。【宮内庁参拝情報】所在地:大阪府南河内郡太子町大字春日/交通:(バス停)用明天皇陵前から徒歩約5分/原則、8時30分~17時(原則年間参拝可)。陵印保管:古市陵墓監区事務所。

探索メモ

磯長谷古墳群(太子町)は飛鳥時代の王族・皇族の墓が集中する聖地で、推古天皇陵・敏達天皇陵・聖徳太子墓(叡福寺北古墳)などが狭い谷に密集する。春日向山古墳はその中でも規模・格式ともに最上位の一基として位置づけられる。用明天皇は蘇我氏と物部氏の対立が激化した時代の天皇であり、その在位はわずか2年に満たない。仏教に帰依し病の平癒を仏に祈ったとも伝わる。聖徳太子が父のために建立したとされる四天王寺(大阪市)との関係も語り継がれる。最寄りは近鉄長野線「上ノ太子」駅からタクシーまたは徒歩約25分。磯長谷一帯は「王陵の谷」として見学コースが整備されている。

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出典

宮内庁Wikipedia太子町教育委員会

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