大阪府 八角墳

叡福寺北古墳

別名: 磯長墓(聖徳太子墓)
所在地大阪府
形状八角墳
墳丘長53 m
築造時期7世紀前半

概要

大阪府南河内郡太子町叡福寺境内に位置する古墳。宮内庁が聖徳太子(厩戸皇子・574〜622年)の墓(磯長墓)として治定する磯長谷古墳群の最重要古墳。七世紀前半の築造で、八角形墳と推定される。聖徳太子・母の穴穂部間人皇后・妃の膳部菩岐々美郎女の三者が合葬される(三骨一廟)とされる。叡福寺という名刹と一体化した聖地として、古代から現代まで全国から参拝者が訪れる。

出土品・調査研究

宮内庁陵墓参観制度により発掘調査は未実施。内部構造・副葬品の詳細は不明。外周・周濠からの外観見学のみ可能。

被葬者をめぐる両論

考古学的見解
八角形墳と推定される古墳(一辺約50m)。7世紀前半(622年頃)の築造。聖徳太子・母の穴穂部間人皇后・妻の膳部菩岐々美郎女(かしわでのほきみのいらつめ)の三者が同一墓に合葬されているとされる(三骨一廟)。八角形墳(はちかくふん)は7世紀の天皇・皇族墓に用いられた最上位格の墳形で、天智天皇陵・天武・持統合葬陵(野口王墓)なども八角形を採用している。被葬者の聖徳太子については考古学的な確認は未実施だが、宮内庁治定・伝承・文献の整合性が高く、信頼性は比較的高い。
宮内庁見解
磯長墓(しながのはか)として宮内庁書陵部が管轄。聖徳太子(厩戸皇子・574〜622年)の墓として治定されており、日本書紀の記述(「磯長陵に葬った」)に基づく。叡福寺(太子町)の境内に位置し、寺院と陵墓が一体化した珍しい形態をとる。宮内庁の管轄のため墳丘内への立入は制限されるが、叡福寺の境内を通じて近くまで参拝できる。

探索メモ

聖徳太子は17条憲法・冠位十二階の制定・遣隋使の派遣・仏教振興など、日本の国家体制を整えた最重要の政治家・思想家として日本史上最も著名な人物の一人。「一に曰く、和を以て貴しとなし」で始まる17条憲法は今日でも引用される。叡福寺は聖徳太子の薨去後に建立されたと伝わる七堂伽藍を擁する古刹で、「太子廟」として古代から信仰の対象。毎年4月と11月には太子の命日にちなむ「お聖天」法要が行われる。磯長谷古墳群(太子町)の中で唯一、一般参拝者が近くまでアクセスできる陵墓。最寄りは近鉄長野線「上ノ太子」駅からバスで「聖徳太子御廟前」停下車すぐ。

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出典

宮内庁Wikipedia太子町教育委員会

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