大阪府 方墳 宮内庁治定陵墓

山田高塚古墳

別名: 磯長山田陵(推古天皇陵)
所在地大阪府
形状方墳
墳丘長63 m
築造時期7世紀初頭
陵墓指定宮内庁管轄(一般立入不可)

概要

大阪府南河内郡太子町山田に位置する東西63m・南北56mの3段築成方墳。宮内庁が推古天皇(第33代・在位592〜628年)の陵として治定する磯長谷古墳群の核心的古墳。推古天皇は日本最初の女性天皇で、聖徳太子(厩戸皇子)を摂政として仏教国家建設を推進した。合葬される竹田皇子は聖徳太子の同母兄弟とされる。古墳時代終末期の典型的な大型方墳として、飛鳥時代の葬制変容を示す重要な遺跡。

出土品・調査研究

宮内庁陵墓参観制度により発掘調査は未実施。内部構造・副葬品の詳細は不明。外周・周濠からの外観見学のみ可能。

被葬者をめぐる両論

考古学的見解
東西約63m・南北約56mの3段築成方墳。周濠と外堤を伴い、全体の規模は約100m四方。7世紀初頭(古墳時代終末期)の築造とみられる。埋葬施設は両袖型横穴式石室で、家形石棺が納められていたと伝わる。日本書紀によれば推古天皇は竹田皇子の墓に追葬されたとされる合葬陵墓。考古学的には7世紀初頭の終末期方墳の典型例。磯長谷(しながだに)古墳群の中核的な古墳の一つ。被葬者の特定は難しく、推古天皇・竹田皇子の合葬説に加え、竹田皇子単独墓とする説もある。
宮内庁見解
磯長山田陵(しながやまだのみささぎ)として宮内庁書陵部が管轄。推古天皇(在位592〜628年)と竹田皇子(聖徳太子の同母兄弟)の合葬陵として治定されている。日本書紀によれば推古天皇は竹田皇子の墓に追葬(合葬)されたとされる。宮内庁の陵墓参観制度のもと立入は禁止されているが、外周から外観の見学が可能。【宮内庁参拝情報】所在地:大阪府南河内郡太子町大字山田/交通:(バス停) 推古天皇陵前から徒歩約6分/原則、8時30分~17時(原則年間参拝可)。陵印保管:古市陵墓監区事務所。

探索メモ

磯長谷古墳群は太子町に集中する飛鳥時代の王族墓群で、推古(山田高塚)・敏達(太子西山)・用明(春日向山)・聖徳太子(叡福寺北)など6〜7世紀の皇族の墓が狭い谷に密集する唯一の場所。推古天皇は「豊御食炊屋姫命(とよみけかしきやひめのみこと)」という長い諱をもつ。日本書紀・古事記の編纂を命じた天皇でもあり、古代史研究における最重要人物の一人。近鉄長野線「上ノ太子」駅からバスまたはタクシーで「聖和台」経由で見学できる。叡福寺(聖徳太子廟)・推古天皇陵・用明天皇陵・敏達天皇陵を結ぶ「王陵の谷ウォーク」が整備されており、半日コースで古代王族の墓群を巡ることができる。

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出典

宮内庁Wikipedia太子町教育委員会

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