大阪府羽曳野市・藤井寺市 前方後円墳 宮内庁治定陵墓

野中ボケ山古墳

別名: 埴生坂本陵(仁賢天皇陵)
所在地大阪府羽曳野市・藤井寺市
形状前方後円墳
墳丘長122 m
築造時期6世紀前半
陵墓指定宮内庁管轄(一般立入不可)

概要

大阪府藤井寺市青山に位置する全長約122mの後期前方後円墳。宮内庁が第24代仁賢天皇の陵「埴生坂本陵」として治定する。古市古墳群の全盛期(5世紀)を過ぎた6世紀前半においても、これだけの大型古墳を造営できる勢力が古市地域に存在したことを示す重要古墳。「ボケ山(ぼけやま)」という通称の由来については諸説ある。有力な説は、春に周囲に咲く木瓜(ボケ、Chaenomeles japonica)の花に由来するというもの。別説として「暮れ(ぼけ)」(薄暗い、ぼんやりした場所)に由来するとも言われる。隣接する仲哀天皇陵(岡ミサンザイ古墳・242m・id:26)とともに、6世紀の古市地域の権力構造を知る上で重要な遺跡。

出土品・調査研究

宮内庁治定陵のため墳丘の発掘調査は未実施。外堤調査(1975・1979年 大阪府教育委員会、1981年 羽曳野市教育委員会)で円筒埴輪列と埴輪窯2基が確認されている。

被葬者をめぐる両論

考古学的見解
全長約122m・後円部径約65m・前方部幅約107mの前方後円墳。6世紀前半(古墳時代後期前半)の築造と推定される。前方部が後円部より幅広い後期型の墳形をもち、南東くびれ部に造出しを備え、周濠が巡る。1975年・1979年の大阪府教育委員会による外堤調査で円筒埴輪列が、1981年の羽曳野市教育委員会の調査で前方部北西側の堤に接する斜面から埴輪窯2基が発見された。宮内庁治定陵のため墳丘の発掘調査は未実施で、被葬者の考古学的特定は未確定。6世紀前半という比較的遅い時期に、これだけの規模の前方後円墳が古市地域に造られたことは、この地域の勢力が後期まで維持されていたことを示す。
宮内庁見解
正式名称「埴生坂本陵(はにゅうのさかもとのみささぎ)」として宮内庁書陵部が管轄。第24代仁賢天皇の陵として治定。陵墓参観制度により墳丘への立入は制限され、拝所・外周道路からの見学となる。【宮内庁参拝情報】所在地:大阪府藤井寺市青山3丁目/交通:近鉄 古市駅から徒歩約22分/原則、8時30分~17時(原則年間参拝可)。陵印保管:古市陵墓監区事務所。

探索メモ

最寄りは近鉄南大阪線「古市」駅から徒歩約20分。宮内庁治定陵のため墳丘への立入は不可、外周・拝所からの見学となる。青山古墳(id:41)・峯ヶ塚古墳(id:36)・白髪山古墳(清寧天皇陵・id:51)など古市古墳群南西部の古墳と合わせて巡れる。

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出典

宮内庁藤井寺市(仁賢天皇陵古墳)Wikipedia(ボケ山古墳)

関連する古墳

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