| 所在地 | 大阪府 |
|---|---|
| 形状 | 前方後円墳 |
| 墳丘長 | 335 m |
| 築造時期 | 6世紀後半 |
墳丘長335mは全国第5位の規模を誇る大型前方後円墳。後円部径約200m・高さ約23m、前方部幅約220m・高さ約19mを測り、百舌鳥・古市古墳群の外側に位置する。6世紀後半の築造ながら5世紀の超大型墳に匹敵する規模を持ち、「古墳時代末期の大型墳」として学術的価値が高い。松原市・羽曳野市境に位置し、大塚陵墓参考地として宮内庁が管轄するため発掘調査は実施されていない。「幻の大古墳」とも呼ばれる。全国第5位(335m)という驚異的な規模にもかかわらず、宮内庁の陵墓参考地指定と知名度の低さから「幻の大古墳」と呼ばれることも。松原市と羽曳野市にまたがって存在し、百舌鳥・古市の両古墳群に挟まれた「第三の巨大古墳」として注目される。6世紀後半という時期は大和政権が律令体制に向かう前夜にあたり、なぜこれほどの大型墳が造営されたのかという謎が学術的興味を惹く。被葬者が誰であれ、当時の大王家・有力豪族の中でも最高クラスの権力者であったことは規模から明らかで、蘇我氏の有力首長説も一部では唱えられている。宮内庁が立入りを管理しているため一般見学は外周からのみ可能。百舌鳥・古市古墳群が世界遺産登録を受けた現在も本古墳はその外側にあり、知名度と実際の規模の落差が大きい。古墳ファンにとっては「知る人ぞ知る巨大古墳」である。
【現状】宮内庁の大塚陵墓参考地として管轄されており、発掘調査は未実施。【外部観察から判明していること】周濠の南側に外濠の一部が現存する。外形観察から後円部が前方部より著しく高い「剣菱型(けんびしがた)」の独特な墳形(剣菱の紋様に似た断面形)が確認されており、終末期大型前方後円墳の特徴的造形を示す。埴輪・葺石の有無を含め内部構造・副葬品は不明。【規模の補足】後円部径約200m・高さ約23m・前方部幅約220m・高さ約19m・三段築成と外形から推定。全国第5位(335m)の規模にもかかわらず調査未実施のため「幻の大古墳」と称される。