| 所在地 | 大阪府 |
|---|---|
| 形状 | 前方後円墳 |
| 墳丘長 | 226 m |
| 築造時期 | 5世紀中葉 |
| 陵墓指定 | 宮内庁管轄(一般立入不可) |
墳丘長226mは全国第21位。後円部径約135m・高さ約17m、前方部幅約124m・高さ約17mを測る大型の前方後円墳。周濠を備え、墳丘全体は良好に保存されている。宮内庁が継体天皇陵に治定するが、考古学的な築造年代(5世紀中葉)は継体天皇の崩御年(531年)より約70〜80年前であり、被葬者論争が続く。三島(摂津)地域の丘陵上に立地し、淀川流域の主要幹線を見渡せる戦略的要衝に位置する。今城塚古墳と「どちらが継体天皇の真陵か」という論争が継続中。宮内庁がここを継体天皇陵に治定した根拠は江戸後期〜明治期の地誌研究に基づくものであり、現代考古学の年代測定手法が確立する以前の指定である。日本書紀・古事記に「藍野陵(あいののみささぎ)」と記される継体天皇の陵の比定地として選ばれたが、築造年代の不一致から学界では今城塚説が優勢。宮内庁が発掘を認めない限り最終決着は困難であり、今城塚古墳(高槻市立公園・国史跡)が学術的調査を受けられることとの対照が際立つ。継体天皇は大和から遠く離れた越前(福井県)から迎えられた大王で、王権の地方的広がりを象徴する存在。その真陵の所在は古代史の根幹にかかわる重要問題である。
【現状】宮内庁の三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)として管轄されており、内部への立入・発掘調査は未実施。【外部観察から判明していること】周濠の一部と墳丘が現存しており、外周において埴輪(5世紀中葉型式の円筒埴輪・形象埴輪)の散布が確認されているとの報告がある。埴輪型式は今城塚古墳(高槻市・同時代・同地域)の出土埴輪と比較研究されており、両古墳の年代差を議論する重要な材料となっている。内部の石室・副葬品の詳細は不明。【今城塚との比較】考古学界では今城塚古墳を実際の継体天皇陵とする説が有力であり、本古墳の内部調査が実現すれば決定的な証拠が得られる可能性がある。