奈良県
円墳
宮内庁治定陵墓
倉梯岡陵
別名: 崇峻天皇倉梯岡陵
| 所在地 | 奈良県 |
| 形状 | 円墳 |
| 墳丘長 | 30 m |
| 築造時期 | 7世紀初頭 |
| 陵墓指定 | 宮内庁管轄(一般立入不可) |
概要
奈良県桜井市倉橋に所在する宮内庁治定の崇峻天皇陵。正式名称「倉梯岡陵」。日本史上、臣下(蘇我馬子)に暗殺された唯一の天皇として知られる崇峻天皇(592年崩御)の陵として宮内庁が管理する。考古学的有力候補の「赤坂天王山古墳」(ID251)とは数百m離れた別地点にある。宮内庁治定地点は「倉梯丸山(くらはしまるやま)」と呼ばれる小丘で、明確な古墳構造は確認されていない。この治定の乖離は、宮内庁陵墓制度と考古学的知見の間に生じる典型的な問題の一例として研究者間で議論されている。
出土品・調査研究
宮内庁陵墓参観制度により調査は未実施。明確な古墳構造・副葬品は確認されていない。
被葬者をめぐる両論
考古学的見解
宮内庁治定の倉梯岡陵は小丘陵であり、大規模な古墳としての構造は確認されていない。崇峻天皇(在位587〜592年)は大和朝廷における蘇我氏の専横を嫌い、「いつかこの猪のように嫌いな者を斬りたい」と発言したとして蘇我馬子に暗殺された。考古学的には、同市倉橋の赤坂天王山古墳(ID251)が崇峻天皇の真陵として有力視されているが、宮内庁は別地点を治定しており、学術論争が続く。宮内庁指定地点での発掘調査は実施されていない。
宮内庁見解
正式名称「倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)」として宮内庁書陵部が管轄。第32代崇峻天皇(在位587〜592年)の陵として治定。蘇我馬子に暗殺された崇峻天皇の陵で、592年崩御という明確な年代をもつ。本陵は宮内庁の治定地点(桜井市倉橋)であり、考古学的な有力候補である「赤坂天王山古墳」(ID251・同市)とは別地点。規模は小さく、一般的に「倉梯丸山(くらはしまるやま)」と呼ばれる小丘陵が指定されている。陵墓参観制度により立入制限あり。【宮内庁参拝情報】所在地:奈良県桜井市大字倉橋/交通:(バス停) 倉橋から徒歩約3分/原則、8時30分~17時(原則年間参拝可)。陵印保管:畝傍陵墓監区事務所。
探索メモ
最寄りは近鉄大阪線「桜井」駅から車で約10分。考古学的有力候補の赤坂天王山古墳(ID251)と合わせて訪問することで、宮内庁指定陵と考古学的真陵候補の対比を現地で体感できる。崇峻天皇暗殺の翌年(593年)、推古天皇が即位し聖徳太子が摂政に就く。明日香村の石舞台古墳(蘇我馬子の墓・ID268)と合わせた「蘇我氏ゆかりの地めぐり」も人気。
出典
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