京都府
八角墳
宮内庁治定陵墓
御廟野古墳
別名: 山科陵(天智天皇陵)
| 所在地 | 京都府 |
| 形状 | 八角墳 |
| 墳丘長 | 71 m |
| 築造時期 | 7世紀後半 |
| 陵墓指定 | 宮内庁管轄(一般立入不可) |
概要
京都市山科区御陵上御廟野町に位置する宮内庁管轄の天智天皇陵。正式名称「山科陵」。境内は広大で、杉木立に囲まれた静謐な参道が特徴。近鉄京都線「山科」駅または地下鉄東西線「御陵(みささぎ)」駅(名前の由来がまさにこの天皇陵)から徒歩約10分と好アクセス。天智天皇は中大兄皇子として蘇我氏を滅ぼした乙巳の変(645年)を主導し、大化改新を断行した天皇。「百人一首」第1番(秋の田の…)の詠み人としても著名で、和歌の世界でも象徴的な存在。近隣に天智天皇の末裔とされる壬申の乱(672年)の舞台が広がり、山科は天武天皇・持統天皇につながる歴史的連続性の場でもある。「御陵」という地名が地下鉄駅名にも残るほど、地域のランドマークとして定着している。
出土品・調査研究
宮内庁陵墓参観制度により発掘調査は未実施。内部構造・副葬品の詳細は不明。外周からの外観見学のみ可能。
被葬者をめぐる両論
考古学的見解
被葬者の同定は考古学的に確認されていないが、天智天皇(在位668〜671年)に比定する治定は同時代史料(日本書紀)との整合性が高く、他の多くの古代陵墓と比較して信憑性が高い。墳丘の形状は宮内庁管轄のため詳細不明だが、同時期の天武・持統天皇陵(野口王墓)や牽牛子塚古墳と同様、八角形墳(八角墳)とする説が考古学的に有力。境内全体の広さは境界石からおよそ180〜190mに達するとされ、墳丘本体の対辺長は約71mと推定される。天智天皇は大化改新(645年)を主導し、近江令(671年)を制定した天皇として日本律令国家形成の基礎を築いた。
宮内庁見解
正式名称「山科陵(やましなのみささぎ)」として宮内庁書陵部が管轄。第38代天智天皇(在位668〜671年)の陵として治定。境内の広さは約600m四方に及ぶ大規模な管理区域で、陵墓参観制度により一般の立入は制限されている。【形状をめぐる論争】宮内庁は陵形を「上円下方(じょうえんかほう)」と公式に分類しているが、考古学的には同時期の天武・持統天皇陵(野口王墓・ID269)・牽牛子塚古墳(ID266)と同様、八角形墳(八角墳)と推定する見解が有力で、宮内庁公式分類と考古学的解釈の間で論争がある。当マップは考古学的見解に基づき「八角墳」と表示する。外周の道路沿いに鳥居と参道が整備されており、外観の見学が可能。【宮内庁参拝情報】所在地:京都府京都市山科区御陵上御廟野町/交通:京都市営地下鉄・京阪 御陵駅から徒歩約12分/原則、8時30分~17時(原則年間参拝可)。陵印保管:月輪陵墓監区事務所。
探索メモ
地下鉄東西線「御陵(みささぎ)」駅が最寄りで、駅名がそのまま天皇陵に由来する全国でも珍しい例。参道の杉並木が美しく、早朝の散策に適している。毎年11月に宮内庁主催の「山科陵参拝式」が執り行われる。天智天皇陵・大津宮(滋賀県大津市)・藤原鎌足の墓(阿武山古墳・大阪府高槻市)を結ぶ「大化改新ゆかりの地めぐり」ルートの京都における核心地点。
出典