奈良県
前方後円墳
宮内庁治定陵墓
市庭古墳
別名: 楊梅陵(宮内庁:平城天皇陵)
| 所在地 | 奈良県 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 墳丘長 | 253 m |
| 築造時期 | 5世紀前半 |
| 陵墓指定 | 宮内庁管轄(一般立入不可) |
概要
奈良市佐紀町に位置する墳丘長253m(復元値)の前方後円墳。宮内庁は平城天皇陵(楊梅陵)として管理するが、考古学的には5世紀前半の古墳であり、治定の合理性は否定的にみられる。佐紀古墳群の中でウワナベ・コナベとともに最大規模グループを形成し、二重の周濠が良好に残る。外周の見学が可能で、平城宮跡(世界遺産)との組み合わせた訪問が推奨される。陵墓治定の不合理性という観点では日本でも特に著名な事例の一つ。幕末の陵墓整備事業の際に現在の治定が固定化した経緯があり、明治以降も宮内省・宮内庁が踏襲している。佐紀古墳群全体を巡るウォーキングコースの主要拠点で、平城宮跡の西方に位置する。
出土品・調査研究
宮内庁管轄のため発掘調査は実施されておらず、副葬品の詳細は不明。
被葬者をめぐる両論
考古学的見解
墳丘長253m(復元値)の大型前方後円墳。5世紀前半の築造と推定され、ウワナベ古墳(275m)・コナベ古墳(204m)とともに佐紀古墳群の中核を形成する。二重の周濠をもつ。宮内庁管轄のため詳細調査はなく、内部構造は不明。考古学的年代・規模から、9世紀の平城天皇ではなく5世紀前半のヤマト王権首長の墓とみるべきとされる。
宮内庁見解
正式名称「楊梅陵(やまもものみささぎ)」として宮内庁書陵部が管轄し、平城天皇(在位806〜809年)の陵として治定されている。しかし平城天皇は9世紀初頭の天皇であるのに対し、本古墳は考古学的に5世紀前半の前方後円墳であり、時代が約400年かけ離れている。研究者の大半はこの治定に強い疑問を呈しており、陵墓治定の問題を示す典型例として学術的に言及される。【宮内庁参拝情報】所在地:奈良県奈良市佐紀町/交通:(バス停)平城宮跡・遺構展示館から徒歩約5分/原則、8時30分~17時(原則年間参拝可)。陵印保管:畝傍陵墓監区事務所。
出典
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