| 所在地 | 大阪府堺市 |
|---|---|
| 形状 | 前方後円墳 |
| 墳丘長 | 168 m |
| 築造時期 | 4世紀末〜5世紀初頭 |
かつて堺市西区上野芝町に存在した墳丘長168mの大型前方後円墳。百舌鳥古墳群では屈指の規模を誇ったが、戦後の無許可砂採取による乱掘を受け、1985年(昭和60年)の発掘調査後に完全消滅して現在は宅地となっている。1985年の緊急発掘では8基の粘土槨と、刀剣200点以上・鉄鏃1,500点以上・甲冑7セットなど膨大な副葬品が確認されており、消滅前に重要な考古資料が記録された。文化財保護の観点から最も痛ましい消滅古墳の一例として、今日も語り継がれる。
【消滅前の発掘記録(1985年・緊急調査)】戦後の無許可砂採取による墳丘消滅を前に堺市が緊急発掘を実施。埋葬施設として粘土槨8基(後円部4・前方部4)を確認。出土品:鏡5面・玉類・櫛・刀剣200点以上・鉄鏃1,500点以上・甲冑7セット・手斧32点(百舌鳥古墳群内の単一発掘調査では屈指の副葬量)。【保管】発掘記録・出土遺物は堺市立博物館が保管・一部展示。現地は宅地となっており物証は残存しない。
古墳は消滅したが、現在の住宅地の道路の微妙なカーブにかつての後円部の輪郭が残る。地図を拡大して見ると弧を描く街路に往時の墳丘形状が読み取れる。1985年の発掘記録と出土遺物は堺市立博物館が保管しており、一部が展示されている。出土した鉄鏃1,500点以上・刀剣200点以上は単一の発掘調査としても特筆すべき規模であり、同時代の百舌鳥古墳群の軍事的・政治的な力量を改めて示す資料として評価されている。この消滅の事実は、百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録推進の「失われた古墳をこれ以上出さない」という機運の原点ともなっている。跡地の訪問には事前に地図で位置を確認することを推奨する(目印となる建造物はない)。