奈良県
八角墳
宮内庁治定陵墓
段ノ塚古墳
別名: 押坂内陵(舒明天皇陵)
| 所在地 | 奈良県 |
| 形状 | 八角墳 |
| 墳丘長 | 42 m |
| 築造時期 | 7世紀前半 |
| 陵墓指定 | 宮内庁管轄(一般立入不可) |
概要
奈良県桜井市大字忍坂(おしさか)に位置する八角形墳(上八角下方)。宮内庁が第34代舒明天皇の陵(押坂内陵)として治定する終末期古墳で、後の天皇陵に受け継がれる八角墳の最初の例とされる。古墳時代終末期(7世紀前半)の天皇陵が前方後円形から方形・八角形へと転換する過程を示す重要な遺跡。同時期の敏達天皇陵(太子西山古墳・ID126)・用明天皇陵(春日向山古墳・ID125)・推古天皇陵(山田高塚古墳・ID123)とともに、「磯長谷古墳群」(大阪・太子町)から飛鳥・桜井にかけての終末期陵墓群の一翼を担う。舒明天皇の息子である天智天皇の山科陵(御廟野古墳)は京都市山科区に、同じく天武・持統天皇合葬陵(野口王墓古墳・ID269)は飛鳥に所在する。外周からの見学のみ可能。
出土品・調査研究
宮内庁陵墓参観制度により発掘調査は未実施。内部構造・副葬品の詳細は不明。外周・周濠からの外観見学のみ可能。
被葬者をめぐる両論
考古学的見解
被葬者は考古学的に確定していない。台形の方形壇の上に八角形墳丘をのせた「上八角下方」の墳丘で、八角部は対辺約42m・高さ約12m、下方壇は3段で最下段一辺約105m、全体は南北約80m・東西約110mを測る。7世紀前半(641年前後)の築造と推定され、後の天皇陵に定着する八角墳の最初の例とされる。周囲に空濠が巡る。舒明天皇は中大兄皇子(後の天智天皇)・間人皇女・大海人皇子(後の天武天皇)らの父として古代史上重要な位置を占める。方墳形式は、この時代に天皇陵が前方後円形から脱却し方形・八角形へと移行する過程を示す。埴輪は使用されず、葺石のみが確認されるとされる。
宮内庁見解
正式名称「押坂内陵(おしさかのうちのみささぎ)」として宮内庁書陵部が管轄。第34代舒明天皇(在位629〜641年)の陵として治定。【墳形】台形状の方形壇の上に八角形墳丘をのせた「上八角下方」の形で、後続の天皇陵に受け継がれる八角墳の最初の例とされる。宮内庁は陵形を「上円下方」と分類するが、考古学的には上部は八角形と理解されており、当マップは考古学的見解に基づき「八角墳」と表示する。下部の方形壇は3段で最下段は一辺約105m、上部の八角形墳丘は対辺約42m・高さ約12m、全体は南北約80m・東西約110mを測る大化改新前後の代表的な天皇陵。宮内庁の陵墓参観制度により立入は制限されており、外周からの見学のみ可能。【宮内庁参拝情報】所在地:奈良県桜井市大字忍阪/交通:近鉄 大和朝倉駅から徒歩約24分/原則、8時30分~17時(原則年間参拝可)。陵印保管:畝傍陵墓監区事務所。
探索メモ
最寄りは近鉄大阪線「桜井」駅から車またはバスで約15分。忍坂地区(おしさかちく)は万葉集にも詠まれた歌枕「忍坂山」として知られる地域で、古墳巡りと万葉の歴史散策を組み合わせた訪問がおすすめ。同じ桜井市内の行燈山古墳(崇神天皇陵・ID203)・渋谷向山古墳(景行天皇陵・ID204)と合わせた桜井・天理古墳めぐりコースの一拠点。
出典
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